おすそわけ

ーばんちの頭の中ー

大好きという言葉

こんばんは、日本はもう深夜。

ロシアだとまだ19時を少し回ったくらい。

 特段書きたいことがあったわけではないのだけれど、
私が普段よく使う「大好き」という言葉について思うことがあったので書いてみる。

今日の夜、自転車の定期を更新する時に
駐輪場のおじちゃんと少し話した。

彼らはいつも親切で、
「夜遅くまでお疲れ様」
「いってらっしゃい」
「気をつけて帰るんだよ〜!」
とか近所のおじさんみたいなことを言ってくれる。

雨で濡れた日はサドルやハンドルをわざわざ拭いてくれて、
車庫にしまう時は必ず手伝ってくれる。

みんなとても親切だ。
私は何者でもない私に温かい言葉をかけてくれる彼らが好きだ。

さっき言ってたことは
別に私だけにしてくれるサービスじゃない。

でも、疲れて1日が終わる、家に帰る10分前に
そういう温かい言葉をかけてくれる人がいるとすごく救われる気がする。

「優しいな〜親切だな〜好きだな」

という思考回路になるわけだ。

 

ここでいう好きは、友達に言ってる好きと一緒なのか。

はたまた恋人に伝える好きと一緒なのか。

家族に好きと伝えるときはどうなのか。

 

うーん。
どれも一緒で、どれも違う。
たぶん私が普段使ってる「大好き」には
5段階くらいあって、それの一段階目が共通してるんだろうなあ。
とずっと思っていたわけだけど、
それもなんか違う。

みんなに大好きっていうわけじゃないし、
割と友達にも「大好き」ってあんまり言わない。

 

仲良しの友達には言うのをためらうけど、
よく知らないおっちゃんとかには「好き!」て言ったりする。

それは決して社交辞令じゃなくて、自然に出てくる「好き」であって。

 

大好きって思うとき、条件はあるのかな。

大好きって言うのは感情だと私は認識してるんだけど、感情って条件で決まるのかな。

でも条件に合うかどうかって一瞬の理性的な判断でしてるの?

一瞬の論理的な判断は直感になるの?

ってことは感情は理性的に生まれるの?

 

こういう自分の疑問について今までは人から適当に聞いて、本で読んで、決着つけてたけど今の私はもう少し自分で考えてみるとします。

誰の言葉も借りないで、「自分で」考えてみる。

 

今日も半月だったなあ。

あ、今読んでる本は村上春樹です。笑

 

さてと、おとなしく現実世界に戻りましょう。

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スタバの可愛い店員さんが書いてくれたパンプキン^^