おすそわけ

ーばんちの頭の中ー

今日が人生最後の日だとしたら

ブログを更新する意欲がなくなってからずいぶん経ってしまった。

 

自分のために始めたブログだったのに、

なんとなく周りがどういう風にこれを見てるか気になって

更新できなくなっていた。

 

周りを気にすることと、

気にしないことをなんだかずっと行ったり来たりしている気がする。

 

そして今は気にしない時期なので、

自分の中で考えてることが溢れてきて文字にしたくなってきた。

 

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

by Steve Jobs

 

- もし今日が人生最後の日だとしたら、今日自分がしようとしていることをするだろうか?

 

Stanfordで行われた彼の有名なスピーチを中学生の時に暗唱し、

それからずっと彼の考え方が私の中にある。

 

でも実はそのずっと前から、私の中で「死」に対する意識はかなり大きかった。

 

小学校の時から危ない場面をみると

数秒ずれていたら自分の身に降りかかっていたであろうその先を想像していた。

 

中学生の時に、自分が死んだ後の世界で友達や家族が悲しまないように、

遺書を書いたことは一度だけじゃない。

(遺書といえども、「死んだら読んでください」っていうお手紙で、

 当時の私はネックレスを形見として誰にあげるとかも記載してた。笑)

 

高校の時は、ヨット競技をしていたので、

本当に溺れて死にそうになった経験もある。

 

とにかくそんな風に、いつ自分が死んでもおかしくない、

そんなことを潜在的に、本能的に認識してた気がする。 

 

そんな中で、考えを文字にしてアウトプットする、

という行為はすごく特別なもので、

言葉は良くも悪くも簡単は消えない。

そう、残っていくものなんだな。

自分の存在が、誰かの心の中に。

 

何か物を書くのが好きなのは、

自分の気持ちや思いを文字にして人に伝えるのが好きなのは、

もしかしたらそんなことにつながってるもかもしれない。

なんか違う気がするけど。。。

うまく言葉にできないし整理できない。

 

 

そして、何より、

「死」が誰にでも訪れるもので、

常にそれについて考えて、

分かっていたはずの自分が、

「同級生の死」に、すごく、動揺しているのかもしれない。

頭の中は、そのことでいっぱいで、

同級生のそういうツイートを探しては考え、

それらの言葉に支えられているのは自分なんじゃないか。

 

自らが想像するより脆い自分について

認められない自分をも

優しさでつつみこめたなら。

 

 

 

 

2018/10/09