おすそわけ

ーばんちの頭の中ー

なりたい自分、ありたい自分

どうしようもなく絵を描きたくなる時とか、

 

なんとなく言葉を紡ぎたくなる時とか、

 

たまにある。

 

それは大抵、落ち込んだ時とか、

ポジティブな感情が私の中から消えてしまった時とかもあるし、

 

逆にとっても嬉しくなったり、

気持ちが晴れやかになる瞬間だったりする。

 

多分、感情が大きく揺さぶられた時に

頭の中での生理が追いつかなくなってアウトプットしたくなるんだろうなあ。

 

それをこのブログというツールを使うか、

毎日書いてる日記につけるか、

その選択はあまり論理的にしていない。

 

ただひとつ言えるのは、日記にしろブログにしろ、

自分自身を管理するために

自分の頭の中を文字に起こすことはとても重要なプロセスだなあって思う。

 

この話、聞いたことある?

外務省派遣でロシアに行った時に、

たまたまバスで隣になった先輩が

ちょっとした挫折気分に浸っていた私にしてくれた話。

 

なりたい自分ありたい自分は少し違うっていう話聞いたことある?

 なりたい自分っていうのは将来自分がどんな職業に就きたいかとか、
 どんなことをしたいかっていう自分の理想像で、

 ありたい自分っていうのは将来どんな仕事についても、
 どんな環境にいたとしても実現したい自分の理想像って定義されてて。

 ばんちゃんは、後者が曖昧だから迷っちゃうんじゃないかな?」

 

なるほど。これだ。

私はずっとありたい自分を考えるのを後回しにしてたんだ。

 

これを聞いたのが2017年の9月で、

もう4ヶ月も経ってしまった。

 

ずっと考えてた「ありたい自分」は言葉にできた。

 

どうやったら実現できるのかな。

 

高校卒業して、いろんな世界に飛び込んでみたけど

家族の中の私はずっと変わってなくって。

それが本質なのかなあ。

 

家族の前では思考を止めてるな。

これだ。

考えるのって疲れちゃうから、家族の前では思考しない。

思うだけだから、ひらめきしかないからだ。

 

絶対に見捨てられないってわかってるから

その安心感に甘んじて考えてない。

 

「贅沢な」悩みだなあ。

悩みに貧しいとか、豊かさとかいう尺度はあるけど、

この悩みは確実に恵まれた悩みであると思いつつ、

 

四六時中頭を悩まされるのですが、

家族のことで悩んで成長した試しがない。

 

ああー、哲学のレポート書かなきゃ。